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長崎県
2013/2/13 長崎ランタンフェスティバル(長崎市)長崎新地中華街の人たちが、街の振興のために、中国の旧正月(春節)を祝うための行事として始めたもので、もともと「春節祭」として長崎新地中華街を中心に行なわれていましたが、平成6年から規模を拡大し、長崎の冬を彩る一大風物詩となりました。長崎新地中華街はもとより、浜市・観光通りアーケードなどの市内中心部に、約1万5千個にも及ぶランタン(中国提灯)が飾られ、湊公園をはじめ各会場には、大型オブジェが所狭しと飾られていました。


岐阜県
2017/5/29 両界山横蔵寺・三倉の太鼓踊りのスライドショー(岐阜県)2012/5/22撮影の静止画をスライドショーに再編集しました
2014/09/03 白川郷(岐阜県) 白川郷・五箇山の合掌造り集落は、飛越地方の白川郷と五箇山にある合掌造りの集落群である。1995年12月9日にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録され、日本では6件目の世界遺産となりました。白川村では最大級の合掌家屋で庭や生垣、周囲の田畑、水路を含めよい保存状態が保たれています。和田家は、萩町合掌集落で最大規模を誇る合掌造りです。国の重要文化財に指定されています。現在も和田家の方が住まわれており、1階と2階部分を公開しています。
2014/09/03 白川郷(岐阜県) ムービーで撮影しました。
2014/09/03 白川郷・和田家(岐阜県) ムービーで撮影しました。
2012/11/18 三蔵の太鼓踊り(岐阜県・揖斐川町) 岐阜県の重要無形民俗文化財『三倉の太鼓踊り』が横倉寺でありました。三倉峯神社の例祭に奉納される太鼓踊りです。鎌倉時代にはじまったといわれ、源氏の武将たちが合戦の出陣、源平合戦勝利の祝いに踊られたものと伝えられ、「鎌倉踊り」とも呼ばれている

2012/5/12_大垣まつり(岐阜県大垣市) 八幡神社前に全13両が勢ぞろい。子どもたちが稽古を重ねた舞踊やからくり芸を順に奉納、訪れた見物客を沸かせていた。この後、各やまは同市内を巡行。午後7時からは同神社前に集まり、ちょうちんをともして「夜宮」が行われました。なつかしいお化け屋敷の見世物なども昔のままでした。 

熊本県

2010/9/21 藤崎八旛宮秋季例大祭 (熊本県熊本市)市内に鎮座する藤崎八旛宮の例祭である。神輿に付き従う「随兵(ずいびょう)」と「飾り馬(かざりうま)」の奉納行列である。飾り馬は、「ドーカイ、ドーカイ」という威勢のよい勢子たちの掛け声と、ラッパなどの鳴り物でにぎやかに行進しながら、熊本市内を練り歩く(ウィキペディア)


佐賀県
2014/11/3 唐津くんち お旅所への曳き込み(佐賀県唐津市) 神輿を中心として前後に曳山が従い、西の浜明神台(お旅所)までの巡行が始まります。ヤマは一番の刀町・赤獅子から十四番の江川町・七宝丸まで、制作年代順に並んで、旧城下町をまわります。お旅所への曳き込み、曳き出しが最大の見せ場です。。
2014/11/3 唐津くんち お旅所への曳き込み(佐賀県唐津市) ムービーで撮影しました。NK
2014/11/3 唐津くんち 町廻り 風景(佐賀県唐津市) 旧城下の東西約八キロを回ります。 各町ごとに揃いの鉢巻き、江戸腹、股引、腕ヌキに身を固め、いなせな曳子たちが、ヤマに乗り込んだ囃子方の奏でる緩急自在の典雅なリズムに合わせて曳き回るさまは感動的です。
2014/11/3 唐津くんち 町廻り 風景(佐賀県唐津市) ムービーで撮影しました。
2014/11/4 佐賀インターナショナル バルーンフェスタ_朝の競技 (佐賀県佐賀市) 佐賀市の嘉瀬川(かせがわ)河川敷を主会場として佐賀平野中西部の広範囲で毎年秋に開催される、熱気球競技大会です。熱気球競技大会としては日本国内のみならずアジアで最大級の参加機数の大会であり、毎年十数ヵ国の選手が70 - 80機 参加しています。11月 3日(月・祝)大会最終日、 佐賀平野の上空は、北西から強めの風。しかし、嘉瀬川河川敷の地上付近はそれほどの風ではなかったため、早朝一斉スタートの1タスクだけ、競技飛行が行われた。パイロットはGPSと地図アプリを駆使し、現在地を把握して飛行し目的地に向かっています。競技本部の調査によると、今朝の風は、地上付近から上空1200メートル程度まで、どの高度でも南東方向への一本調子。しかも、高度100メートル以上は秒速10メートルを超える風が吹いているため、河川敷を離陸した競技気球はあっという間にターゲット目指して飛んで行ってしまった。東の空には雲の切れ間から昇りつつある太陽、そして南東には競技気球の群れ。河川敷からは逆光になるためシルエットしか見えないが、美しい光景だった。土日は天候が悪く競技中止だった、この素晴らしい光景に、週末の悔しさを振り払ってくれました。。
2014/11/4 佐賀インターナショナル バルーンフェスタ_朝の競技 (佐賀県佐賀市)ムービーで撮影しました。 NK
2014/11/2 佐賀バルーンフェスタ_イベント風景 (佐賀県佐賀市) 佐賀市の嘉瀬川河川敷を主会場として佐賀平野中西部の広範囲で毎年秋に開催される、熱気球競技大会です。土、日は天候が悪く競技中止だった、会場の風景を撮影しました。最終日(祝)は早朝一斉スタートの競技がありました。過去の、写真映像も掲載しました。
2014/11/2 佐賀バルーンフェスタ_イベント風景 (佐賀県佐賀市)ムービーで撮影しました。
2012/11/3 唐津くんち(佐賀県唐津市) 唐津くんち(からつくんち)は、佐賀県唐津市にある唐津神社の秋季例大祭である。長崎くんち(長崎県長崎市)や博多おくんち(福岡県福岡市)と並ぶ日本三大くんちとされる。漆の一閑張りと呼ばれる技法で製作された巨大な曳山(ひきやま)が、笛・太鼓・鉦(かね)の囃子にあわせた曳子(ひきこ)たちの「エンヤ、エンヤ」「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声とともに、唐津市内の旧城下町を練り歩く。(Wik)祭り期間中の人出は延べ50万人を超えるそうです。

2012/11/4 佐賀インターナショナルバルーンフェスタ_朝の競技 (佐賀県佐賀市)嘉瀬川河川敷を主会場として佐賀平野中西部の広範囲で毎年秋に開催される、熱気球競技大会である。熱気球競技大会としては日本国内のみならずアジアで最大級の参加機数の大会であり、毎年十数ヵ国の選手が70 - 80機(うち日本国内が50機程度)参加している1978年(昭和53年) - 1980年(昭和55年)から福岡県甘木市で開催されていた熱気球大会「バルーンフェスタイン九州」が福岡空港の離着陸圏内に影響することから開催場所を佐賀に移し、初めての佐賀で熱気球大会が開催される。その後毎年11月に大会を開催するようになる。(wik)
朝のバルーン競技(マキシマム・ディスタンス)は、嘉瀬川河川敷メインランチサイトからの一斉離陸です!


2012/11/2 佐賀インターナショナルバルーンフェスタ_昼の競技 (佐賀県佐賀市) 嘉瀬川河川敷メインランチサイトの外からのフライトです。 メインランチサイトから4?7km離れたエリアからメインランチサイトに設定されたゴールへ向けてフライトします。競技があったのは、10/31-11/4の期間中、今日だけのようです。


2012/11/2 佐賀インターナショナルバルーンフェスタ_夜の競技 (佐賀県佐賀市) 夜(18時半頃〜)に開催される夜間係留イベントであり、河川敷一面に並べられた熱気球がバーナーによりライトアップされる予定でしたが、風のためバルーンを立ち上げずにバーナーの炎のみの「バーナーバージョン」で行われました。

北陸地方
2014/9/4 兼六園&石川門(石川県 百万石前田家の庭園として造られた特別名勝・兼六園は、水戸の偕楽園、岡山の後楽園とともに、日本 三名園の一つに挙げられます。「兼六園」の名は宏大・幽邃(ゆうすい)・人力・蒼古・水泉・眺望の六つを兼ね備える名園として命名されたと伝えられています。冬の風物詩・雪吊りや梅苑の紅梅白梅など 四季折々の自然と、築庭の妙が織りなす景観は、屈指の美しさです。
2014/9/4 兼六園&石川門(石川県) ムービーで撮影しました。
2014/9/4 富山のくすり(富山県) 富山藩第2代藩主・前田正甫が薬に興味を持ち合薬の研究をし富山では最も有名な合薬富山反魂丹(はんごんたん)が開発されました。これが富山売薬の創業とされます。江戸城で腹痛になった三春藩主の秋田輝季に正甫が反魂丹を服用させたところ腹痛が驚異的に回復した江戸城腹痛事件という逸話があります。
2014/9/4 富山のくすり(富山県) ムービーで撮影しました。
2014/9/3 おわら風の盆(富山県) 
富山県富山市八尾地域で毎年9月1日から3日にかけて行われている富山県を代表する行事(祭り)です。越中おわら節の哀切感に満ちた旋律にのって、坂が多い町の道筋で無言の踊り手たちが 艶やかで優雅な女踊り、勇壮な男踊り、哀調のある音色を奏でる胡弓の調べなどを披露してくれます。
2014/9/3 おわら風の盆 お祭り風景(富山県) ムービーで撮影しました。いつもは静かな町ですがこの期間は25万人(およそ25倍)の観光客が訪れるそうです。踊りが始まるとトイレに行けないほどの人ごみです。
2014/9/3 おわら風の盆 町流し(富山県)
 ムービーで撮影しました。町流しは、地方の演奏とともに各町・11団体の踊り手たちがおわらを踊りながら町内を練り歩くものです。この町流しが、古来からのおわらの姿を伝えるものとされています。
2014/9/3 おわら風の盆 聞名寺境内(富山県) ムービーで撮影しました。今町にある聞名寺境内で踊りを撮影しました。ここは地元以外の県内外から集まった越中八尾おわら道場の人たちであり、おわら保存会の人ではないのだそうです。